ワタクシ的には「上田ベルマーレ」は非常にウェルカムなんですが、そういえば広い世の中だし「アンチ上田」の人もいるんだろうなぁって、思ったわけですよ。
1999年、J1最後の年、1stステージまで上田さんが監督でした。その後古前田さんが監督復帰。J1最下位→J2降格決定。大神練習場冠水。フジタ正式撤退。七夕フェスタ。ベルマーレユース、高円宮杯準優勝。
本当にイロイロあった年でした。 思い出すと涙が出てきますよ。 イロイロなイベントを思い出すのにはこちらが便利。
という事で、続きは1999年の思い出話ばっかりです。(長いし・・・)
99年のデータはこちらからいただきました。
99年のベルマーレは、若手主体のチームでした。前年までいた主力選手が(イロイロな理由で)契約続行できずにチームから離れていきました。 平均年齢22.5歳。 34名(途中退入団選手含む)の選手の中で平塚ユース選手が8名。 茂庭(現東京FC)と田辺(現横河武蔵野)は2種契約でユースと掛け持ちで出場してました。
そんな若く、経験のない選手たちを引っ張る最年長の選手は、現広島ユース監督の森山選手と現湘南コーチの堀選手、ともに当時32歳。 あとは本当に18歳〜20台前半の選手ばっかり。
試合を見てても一生懸命という言葉が似合うチームでした。 後半になって、体力が落ちて動けなくなることも多々あって、延長に入るとことごとく負けていたのを思い出します。 でも見てて面白かったんだ。 松川がばびゅーんと走るところとか、ちっちゃい(臼井)幸平が早さでかき回すとことか。 GKは試合中にドッチボールしてレッドカードもらうし(あ・汗) バデアが途中で辞めちゃうって聞いたとき、1ゲートで「辞めないで」ってルーマニア語で書いたボードを上げたっけか。
大神冠水の時、サポータがドロかきをしていたら、森山さんと哲さん(高田哲・現湘南コーチ)が差し入れをくれたっけか。
レイバットはウォンバットと間違えそうになるし(なりません) クラウジオのFKは今でも伝説だし。 リカルジーニョは使えねぇし車の中からナンパするしで、どうしょうもないんだけど憎めないし。 チアゴは若くて、いい子だったのに育てて上げられなかったなぁ。 ノッチ(西本)は不器用なプレースタイルだったけれど、彼のドリブルやゴールした後の「ぶち嬉しい」って言葉を忘れられない。
あ、この年にヤスがワールドユースに行ったんだった。 唯一の希望でした。 でも、その後シーズン終了間際の入院。 ヤスにとっても忘れられない年だっただろうなぁ。
この年は磐田と名古屋に勝ってるんですよ。 そして、その磐田戦、平塚競技場での試合でした。 1点磐田に先制されてから、後半に船越が同点ゴール。 あまりの嬉しさに船越が広告の看板を超えてイエロー(これでファンになる人もいるんだから、奇特な奴だ・笑) その後に学(小松原)がゴールして逆転。競技場には、和波コールが響く。磐田の7番、ナナミではなく「ワナミ」コールだった。 左サイドを駆け上がってくる姿は、韋駄天にふさわしい動きだった。
私はあの試合の競技場の雰囲気が忘れられません。 涙でてくるかと思ったもん。 99年先が見えない状態で、あの試合を見せられたらそりゃしびれるしね。 懐かしい情報はこちらから。
上田さんといえば、シーズン前の練習試合とかずっとジャージだったんで、競技場で見たスーツ姿がカッコよかったんですよ。 スタンドの上から「カッコイイですね!シーズン中はスーツなんですか?」と声をかけたら「オフ・コース」と茶目っ気たっぷりに言ってくれたし。 練習場の大神の土手を愛犬(雑種)と歩いてたら、「この犬の種類はなんですか?」って声をかけてくれたり、凄くフレンドリーだったなぁ。 今でも上田さん家はわんこを飼ってるのかなぁ。元気なのかな?
2月のバレンタインデーでは、「逆バレンタイン大作戦」で上田さんのポケットマネーで平塚名産のバラと、スポンサー様だった不二家さんのチョコを配るイベントがありました。 「バレンタインだけに、チョコっとね」と言ったヲヤジギャク・・・。 当時のチームの総務部長と上田さんと、どっちのヲヤジギャグが寒かったか。 (なでしこジャパンの記者会見を見る限り「浴衣が似合ってユカッタ」だから、これは変わって無さそうな・・・)
前日福岡でリーグ戦があったのにも係らず(福岡日帰りで行った)、ジェフとのサテライトの試合を見に行った私たちと上田さんがばったり会場入り口であったら「(昨日も)今日もご苦労さまです」と言われてしまって、非常に焦ったコトとか。 土手の上では誰にでもニコヤカに笑って挨拶してくれる様子とか。
あれから5年も経ってますし、上田さんの白髪も凄く増えたし。 変わっているかもしれませんが、やっぱりあの頃の上田さんが戻ってきてくれたんじゃないかって、期待をしてしまいます。
99年1stステージは3勝しかしてなかったけれど、頑張ってたチームのことしか思い出せません。 試合見てて負けて悔しかったけれど、勝たせてやりたい、勝って一緒に喜びたいと思ったチームでした。
サポータが集まって、平塚のビーチでビーチサッカー&バーベキューをやったのもあの年でした。 あまりの暑さに倒れるモノ、日焼けがただの火傷になるモノ(笑) あの後、古前田さんに会うたびに「日焼けしすぎて火傷した人」という認識でしたな(笑)
そういえば、押しかけボランティアもこの年でした。 まずはサテライトリーグのボールボーイ。 マネージャだったSさんに「やらせてください!人集めます!」って押しかけたのが最初でした。 次節の対戦相手である浦和へお邪魔して、チケット売りのお手伝いもさせていただきました。 古前田さんと一緒にチケット売りをしてたら、レッズサポの人に「この人(古前田さん)に、こんなこと(チケット売り)させるなんて! 凄い人なんだよ!」と叱られました。 古前田さんはチケット売りブースに立っていたけれど、チケット売るよりサインしてた方が多かったんじゃないかな? 他にも存続の危機だった為、多くのレッズサポさんから「頑張ってね」「できることするよ」と声をかけられて、凄く励みになったし嬉しかった事を覚えてます。
サテライトを見に、他のチームの練習場に行ったときも、市原・鹿島のサポさんからも同様に励まされて、ありがたく思ったのを思い出します。
存続の危機・・・と言えば、それがきっかけで本家サイトを開いたんでしたっけ。
こちらの記事を見て、タイムスリップする気になったんだった(w という事で、トラックバッキュッキュ
磐田のバスの中から”奥”に思い切り
睨まれて、それ以来奥が嫌いになったっけ・・・。
懐かしいねー、楽しかったね。
また楽しくなると良いね。
涼しくなってきたので、そろそろ
子連れでまた平塚に行きたいなと
思います。
初心思い出させてもらったさ。
そだっけか〜。そういえば磐田のバスの後ろには「高額所得者同乗中」という文字が書かれていたのでした。うらやましかったなり。 また、競技場へおいでね〜。
■川バタさん
でしょう? サッカー見てて一番イベントが多かった年だったと思う。他の年じゃこうは書けないのでした。
■めいさん
そうだった!横断幕手作りで作ったのもこの年だし、ひらつか七夕祭りに無理矢理お願いして作り始めたのもこの年だった。 んでもって、七夕祭りのブースに入ったのもこの年だった(という事が、昨日の夜判明しました)
盛りだくさんの年でしたね。
「ヒデ出してなかったら、ベルマーレは今こんなことに
なってなかったんじゃないすか〜〜?」と極悪電波を発したので、
襟首を即つかみ、仕事のとき以上に(汗)こんこんと説教たれてるうちに、
一連の出来事がなかったら、大事なことを見落としたままだったかもと
ふと思いました。地域密着の理念とか、サポとクラブの結びつきとか……。
上田さんも我々も、いろいろあったぶん返ってくる幸せも大きいと思いたいです。
件の若いヤツは、あたくしの姿に引きつつ、
怒濤の連敗中でもJ2下位でもしぶとく応援している理由を
わかってくれたようです(てか、わかれよ<笑>)。
ヒデは海外に行ってよかったよね。チームが引き止めちゃ駄目だと思うんだ。 いい例が前○さん…。 一つ選択を間違えると先に行くほど、大きく変わっていくもんなんだなぁと、しみじみ。
フジタさんはヒデの移籍金を持っていきましたが、撤退するときに累積赤字を全部持っていってくれたらチャラかなぁ。 株価が二桁になった時に、あぁ駄目だな、と思ったのでした。
>> 上田さんも我々も、いろいろあったぶん返ってくる幸せも大きいと思いたいです。
そだね〜。返ってくるのが何時になるかわからないけどね〜(毒)
思い出が走馬灯のように
まだ20世紀の話なのね 世紀をまたいで
ベルマーレ応援してる俺達ってかっこいいぜ!
風子さんと同じく
私もあの雨の磐田戦は忘れられないよ
目に焼きついています。心震える試合というのは
生涯そーんなにないしね
それから風子さんちでワールドユース決勝見たなぁ
ヤス君がね、交代でね 入ったんだよね 後半。
ヤス いってこいって!やってみろって!
皆で祈ったんだよね
でもこっからさきにもっと「心震える」試合が
あると信じてるから、楽しいわけで。
それは「復帰」のときなのか、J1に戻ってからの
「優勝」の時なのか
いつになるかわかんないけどさ
皆で見れるといいなぁ
そういえば、うちで見たんだっけか、WY。あの頃から汚かったが、更に汚くなってます<ウチ(笑
最近は、普通の1勝に感動してたりします。貴重なもんで(w
という冗談はおいといて、みんなで体験できるといいっすね、何度思い出しても心震える時。